歴史資料室

礎を築いた先人たち

礎を築いた先人たち

黒部川電力の創設者川北榮夫、黒部川電力を存続させ、電気化学工業を救済した中興の祖山田昌作、川北電気企業社時代から技師長として社業発展に尽くした6代目社長福田俊を紹介しています。

川北 榮夫

大正12年に黒部川電力を創設した川北榮夫は、わが国の電気事業黎明期の明治時代から大正時代にかけて、全国に60社もの電力会社をつくって電気の効用を全国に広めるとともに、川北電気製作所を設立してわが国初の交流12インチ扇風機「タイフーン」をはじめ、発電機、変圧器などの電気機器製造にも乗りだし、時代の寵児ともてはやされました。
電力会社の設立に当たっては、最初の頃は日本の化学工業の父とも呼ばれ、日本窒素肥料(現、チッソ)を設立した野口遵とともに行動していました。

山田 昌作

当社3代目社長の山田昌作は、富山電気-日本海電気を率いて、低廉な電力を武器に、中央の大企業を富山に誘致し、富山の資本が参加する形態で一緒に新たな事業を興し、富山県を中心とする北陸を日本海側屈指の工業地域に育てあげました。また、戦時中の電力国家管理では、北陸を中部に含めた政府の8ブロック案に対抗して北陸を独立した地域とする9ブロック案を主張。北陸の電気事業者の合同を実現して政府に北陸の電力圏を認めさせました。これが今日の北陸電力になっています。

福田 俊

当社の設立に当たって川北榮夫に招聘されて入社し、川北電気企業社破綻後も当社常務として業務を全うし、昭和22年から社長を務めましたが、会社分割問題のさなかに殉職しました。