新潟県 糸魚川市 黒部川電力株式会社
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会社組織図 関連会社 沿革

黒電豆知識

【松本清張も勤務していた】

松本清張も勤務していた福岡県の小倉に生まれた松本清張は、13歳の時に当社の親会社だった川北電気企業社小倉出張所の給仕として社会人のスタートを切りました。社会派推理小説家として有名ですが、古代史にも強い関心を示し、邪馬台国や日本では産出されないと言われていた翡翠をテーマにした推理小説も書いています。「万葉翡翠」もそうした作品で、黒部川電力の水力発電所のある小滝川を舞台にしています。

万葉集巻十三、第三二四七歌の「沼名河の玉」について、枕詞や想像上の天上の川などではなく実在の川で、玉(ぎょく)は翡翠をさすのではないかと言う助教授の説にしたがって、教え子三人が、古代の地名が残る頸城郡の河川を手分けして探索することになったのだが・・・・・・。

【松下幸之助の恩義】

松下幸之助は、川北電気製作所から注文を受けた扇風機の碍板(がいばん)が、窮乏生活から抜け出すきっかけ松下電器の創業に繋がったと述べています。松下は、川北電気製作所の今福工場を引き継いで松下電器を興しました。

【大正時代、扇風機はレンタルだった】

扇風機明治時代にアメリカから入ってきた扇風機は、大正時代には黒色の4枚羽根、ガード、首振りが基本でした。川北電気製作所の「タイフーン」は渦巻きガードで実用新案を得ています。扇風機が一般に普及するのは関東大震災以後で、それまでは高価だったので、大半はレンタル制度を利用していましたが、震災の教訓から電球や電熱器、ラジオなどとともに家電ブームの一翼を担い、レンタルから購入の対象へと移っていったそうです。

出典:平野聖・石村眞一「大正・昭和期における扇風機の発達」

【入善芸術の森下山(にざやま)発電所美術館】

入善芸術の森下山(にざやま)発電所美術館当社の黒部川第二発電所は、大正15年に運転を開始し、戦後、北陸電力に移管されました。平成5年に、新築建て替えのため取り壊される予定でしたが、入善町の要請を受けて町に寄贈され、7年に美術館として開館。現在は世界でも唯一の発電所美術館「入善芸術の森下山発電所美術館」として、現代美術作家たちの感性を刺激し続けています。当時使われていた川北電気製作所の銘板の付いた発電機も展示され、平成8年に国の登録有形文化財に指定されました。

【今も現役で働く川北電気製作所製造の発電機】

発電機大正4年に大阪の川北電気製作所で製造され、当時の越後電力海川第4発電所に、川北電気企業社電気土木工事部(現、三和電気土木工事株式会社)によって設置された発電機です。

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